どうせ私なんて誰も見てくれない。と自分で勝手に判断しない
もともとひねくれ者だったのですか、そんな私を作っていたコトバが『どうせ私なんて誰も見てくれない』。
ブログを書いたって誰も見てくれないし、見てもどうせケチつけられたり否定されたりするんだって思いながら始めていました。
ブログを始めた時に思っていた私の気持ちです。
でも、今はそうは思いません。自分の近くには見てくれる人がたくさんいます。
これを読んでくれているあなたにも必ずいるのです。
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もくじ
私の過去の体験から
まずは私自身の体験からご紹介します。
私自身もどうせ誰も見てくれないとしばらく思っていました。
ブログでの発信を始めた私の気持ち
発信したい!!と気持ちが高まり、張り切ったブログ講座へ通い、毎日書き始めます。
ブログ講座の仲間と励まし合い、誰かが見てくれる喜びを感じていました。
ですが、ある時、誰も見てくれなかったのです。
そんな小さなきっかけから、
『いいね』なんて誰もくれないんじゃないか?とか。
『いいね』がきたとしても、どうせ大した数にはならねぇ。
いいもん、見てくれなくっても。
なんかも思っていましたね。今は思っていないからこそ書きます。
でも、そんな自分も含めて変えたかったからブログを続けました。
私は認められない
この気持ちがあったのは、昔からよく言ってるんですが、小さいころから、私がやりたいことをことごとく反対されてきたっていう私の気持ちがあって。
親としては、心配の気持ちだったりしたんだろうけど、大好きな家族だけど、それなりに嫌な思いもした。
たぶん、それがなかったらもっと音楽に夢中になってやり続けてだと思う。
(やりたけりゃ今からでもできるので)今は音楽をしていないことに全く後悔はしていないけど、やりたかったことを伝えたら“やめといたら?“と言われたような記憶だけは強く残っている。
そんなことがチリ積もって、『私がやりたいことはダメっていうに違いない。』『私の気持ちなんて誰もわかってくれない』『私のことすらも見てくれない』と飛躍的に妄想が膨らんでいったんだと思います。
今思うとなんか面白い自分の妄想。
それもこれも俯瞰して見れるようになってきたからかとも思います。
今の私の気持ち
必要な時に見てくれる人は必ずいる
私自身が、いろんな分野に興味があるからこそ、それぞれの分野で興味があれば見てくれる。
みんなそんな暇じゃないけど、気になるときに見てもらえたらとても嬉しい。
言葉に出さなくても応援してくれている人はいる
身近な人たちはいつも応援してくれている。それだけでもありがたい。
自分もそうだけど、言葉として書かなくても、応援している気持ちはあったりする。
(本当はどんどん出していけたらいいんだろうけど)
・どう見られるかじゃなく、ステキな自分ってどんなだろうとイメージする
どんなことをしても、やんわりと反対したり、ネガティブな言葉をかける人はいる。
自分も無意識に自分の“常識“を押し付けていることもあるかもしれない。
現に、私がブログを始めた時も、若干冷たい目線も感じたし、
・ブログを始めてどうしたいかわからん
・ブログやるとずっとパソコンにかじりつかないとダメになるよ。
・今後ブログはなくなっていく
などなど、ネガティブなことを言われる経験もありました。
私にとってブログは1つのツールで自分を変えるためのツール。
かなり変化したからこそ、自分がいい!!とかステキ!!とか好き!!とかを発信していこうと。
まずは、自分が自分を最高に応援して、一人でも見てくれる人がいればそれに感謝していく。
ダメな自分もさらしていく
なんでもある程度できないと嫌だった私。
今も少し残ってるけど、できないことや失敗も多い。
できなかったことはいつかの失敗談として笑って話せるようになるんじゃないかと、これはまだできていないけど、チャレンジしていきたい。
シェアを迷う自分へ
勝手に見てもらえないと自分で判断しない。
怒られても自分のやってみたいことをチャレンジする。
そのためにも無理しない範囲でシェア!
応援してくれる人はたくさんいるから。
チャレンジしよう。